東谷 暁 「困ったときの情報整理」 文春新書
- はじめに 情報整理業を開業する
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- 情報機器を購入したからといって、情報整理ができるわけではない。事務所を設立すれば仕事がやって来るわけではないのと同じだ。自分の目的をはっきりさせてから、必要なら情報機器を購入すべきだ。
- 最近は、パソコンの性能が向上し、またインターネットがブームとなったので、個人的情報整理が飛躍的に楽になったと思う人もいるだろう。しかし、実はその基礎になる方法論は昔とあまり変わっていない。
- 情報機器を購入して操作してみたいという欲望と、個人的にさまざまな情報を役立てたいという意欲とは、実はまったく異なる。 情報整理を主体に考えれば、大げさな機器はかえって邪魔になる場合もある。
第一章 すべては時間に制約されている-
- あらゆる情報整理には、時間的な制約と能力的な制約がある。意外に、この厳然たる事実を忘れるので窮地に陥るのだ
- 作業はつねにスケジュールを立てることから始めなくてはならない。有限な時間と能力、さらには資金の割り振りを考える必要があるからだ。
- 時間の割り振りのさいには、1ヶ月は15日、10日は5日、1日は半日と考えて行う。まちがっても「頑張ればなんとかなる」と思ってはいけない。
第二章 知識は詰め込まねばならない-
- 本はすべてを読む必要はない。卵が腐れているかを知るために、全部を食べてみなくとも良いことと同じだ。
- 情報は詰め込まなくては役に立たない。詰め込む最初の情報源は本がいちばんよい。筆者の姿勢がはっきり出ているからだ。
- 集中するためにも、本には線を引いたり感想を記入しながら読むのがよい。このさいの筆記具や線の引き方には多少の工夫がいるが、あまり凝ってはいけない。
- 分からないことは、好きな論者の本で「引く」のがよい。分野ごとに好きな論者の本でかためて、なるたけ百科事典には頼らないほうがよい。
第三章 雑誌という情報ジャングル-
- 自分で資料を分類しなくてはならない読者は多くないと思うが、検索して目指すデータを探すさいにも、その背景には分類問題があることを知っておいても無駄ではない。
- 雑誌記事の検索は、書籍や新聞よりも手間と費用がかかる。とりあえずは開架式の図書館で調べることを考え、準備期間があれば十二月号の年間索引を何年分かコピーして集めておき参照するのがよい。
- 長期にわたる雑誌記事の検索は、東京都内ならば大宅壮一文庫に直接でかけてみるのがいちばん速い。地方の場合には、日外アシストにアクセスして必要な記事のリストを作成し、近くの図書館で現物を見つけコピーを取るしかない。
第四章 パソコンで出来る情報収集-
- 新聞記事データベースは、あらかじめ下調べをしてから検索を始めること。検索法にはいちおうのノウハウがあるので、簡単な方法は覚えておくとよい。
- インターネットのウェッブ・サイトから情報を得るのは書籍、雑誌、新聞で調べてからにしたほうがよい。事情がわからないままに見つけた情報が、正しいのか間違っているのかを判断するのは非常に難しい。
- 計算ソフトで見積もりのフォーマットを作ったり、公的機関のウェッブ・サイトから数字を取ってグラフを作る程度は練習しておいたほうが便利だ。
第五章 パソコンで出来ない情報収集-
- 取材の前に調べられるだけ調べておくのが鉄則。たとえば経済関係のテーマの場合、数字の面からと構造的な面から漠然としたイメージをもっていないと、せっかくの取材も生きない。
- 通説をしっかり押さえること。その説がどのようなデータや論拠で言われているのかを調べて、疑問点を整理してから取材先を考えるべきだ。
- 相手になるだけ多く話してもらうのが第一の目的で、相手をやりこめたり矛盾を衝いて叩くのは、ある種の職業の人以外には必要のない技である。
- 取材に来られたほうは、たいがいは迷惑に思っている。話したくなるような心づかいも大切だ。
第六章 アイディアは何処から来るか-
- すでに分かっているのに、はっきりと気がついていないという事態は多い。人とコミュニケーションを図ることで、この隠れたアイディアを浮かび上がらせることが出来るかもしれない。
- アイディアというのは、これまで気がつかなかった要素間の新しい結びつきである。他にもいろいろ考えられるが、時間と能力に制限がある場合には、この考え方でとりあえずは満足すべきだ。
- アイディアが浮かんだら、すぐにメモするクセをつける。このさい、メモの道具立てを大袈裟にすると、忘れてしまったりして逆効果だ。ポストイットをあちこち置いて、思いつきしだいメモをして、目立つところに貼っておくとよい。
- 無垢な心や無知な頭からは、アイディアは生まれない。人の頭脳には「白紙状態」は存在しない。むしろ「書き込まれた状態」がアイディアには必要だ。
第七章 ワープロソフトでものを書く-
- 文書作成の時期をどこにもってくるかは、かなり微妙な問題だ。書き慣れていない人の場合には、情報収集と読み込みを早めに切り上げて、余裕をもって書いたほうがよい。
- 文書は文章と文章、段落と段落、節と節、章と章の関係を論理的に矛盾なく、順序よく並べることを中心に考えて書く。
- ワープロソフトはいまやどれも同じようなものだが、エディタやアウトライン・プロセッサを使ってみることもよいかもしれない。
- 全体の構想に自信がなければ、文章のファイルは細切れにしておいて、あとから構成上の変更がしやすいようにしておくのも手だ。
第八章 情報の迷路を抜け出す-
- 論理的だと信じて論じていることも、実はとんでもない論理飛躍をしたり、まったくの論理破綻に瀕していることがある(アヒルの三段論法)。
- 相伴って起こっているからといって、そこに因果関係があるとはいえない。相関関係と因果関係とは別のものである(因果律の専制)。
- 自分がたまたま得た情報が貴重なものだとはかぎらない。部分でしかないデータで全体を論じる危険がある(部分と全体の混同)。
- 人について論じているのか、組織について論じているのか、政治について論じているのか、自覚的にならないと混乱が大きくなる(方法論の無自覚)。
- 決まり文句や類型的な記述は、複雑な現実を覆い隠す。あえて単純化するとにきは、あなたの教養が試されているのだ(ステレオ・タイプの支配)。
- 最後に、第五章で述べたように、時代の空気には注意すること。何かすばらしいことを論じていると思っていても、実は流行のお先棒かつぎであることは多い(沈黙の螺旋)。
おわりに 究極の情報整理とは何か-
- ためしに短期(5年)、中期(10年)、長期(20年)の期間で、自分の「情報整理」および「人生の課題」を見直してみよう。
- 中・長期の課題は、短期の課題とは別に時間を取って、すぐにでも始めなくてはならない。そうしないと、いつまでも手つかずのままになる。
付録 先人の「失敗」から学ぶ「情報整理史」-
- 京大型カードやKJ法と呼ばれる「情報整理法」の古典的手法は、「発見」や「思いつき」を有効に役立てるためのもので、情報の分類と検索が目的ではなかった。この点への誤解はいまも続いている。
- 情報整理法は、その人の仕事や目的と深く結びついている。共有情報整理なのか個人情報整理なのか、野外型なのか書斎型なのか、アウトプット先行型かインプット先行型なのか、自覚して取り組まないとストレスだけがたまる。
- 情報整理法は、紙・パソコンによる混ぜ合わせの営みである。どれかに統合しようとするのは、馬鹿げた偏執的行為である。逆にいえば、パソコンなど使わなくとも、情報をうまく利用して優れたアイディアに到達し、それが表現できさえすればいいのだ。
- 情報整理の歴史を眺めると、機器や道具は新しいものに代わっても、中心となるノウハウや考え方が進歩したとはいえない。結局は、どのようにアイディアの種を獲得し、それをどのように有効に役立てるかにつきる。
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